第一幕独立宣言文

新しい時代の"舞台"の構築のために

私の仕事は、多種多様の条件のもと、建物を建設するための創造的行為の中で結果として"社会貢献"ということが問われる仕事です。時代は、高齢化社会、人類が生存するための環境問題、資源の枯渇という限界を認識しつつ、個の確立がなされないまま日本人独特の甘え(曖昧さ)が充満し、ただ闇雲に効率的な生産、低価格、高性能、軽薄短小、機能性を追求し相変わらず物質消費文化のなかを猛進するだけです。…悲しむべきことと思います。微力でも一人一人が'志'をもってがんばらなければいけないと思うのです。

『建物は誰のものか?』

短絡的にいえばその権利者(所有者)のもので、法的にまぎれもない事実です。土地、建物、大袈裟にいえば会社、お金、全て権利者の所有物です。しかし、本当にそれだけで良いのでしょうか?違った視点で捉えるならば"社会・人"のものでもあると思います。仮に小規模の個人住宅であっても一棟一棟の連続性により地域の風景(社会性)を創り、街、都市を形成していることも事実です。権利者(所有者)の空間であると共に、一棟の建物が社会的責任を負っていることも今一度見直すべきことと思います。

私の挑戦『設計者による"設計施工"+完成後の面倒(主治医)』

建設会社による設計施工は一般化しています。しかし、私の理解では"施工設計"であります。すなわち施工目的の設計です。建物は本来完成してからが目的であり、設計すること、建設することが目的ではありません。住むことであったり、事業目的、文化的目的のなかで建物は、それぞれの目的のための"舞台"でなければいけないと思います。最終的にその"舞台"でいかに人間が豊かに振舞えるかが問題ではないでしょうか?
私の父(隠居)は棟梁でした…。全て"設計施工"です。職人の域を超えることはありませんがその思想は、完成させることだけが目的ではなかったと確信しています。自分が造った建物と一生つきあっています。ある意味で発注者にとって設計が誰、施工が誰とか関係のないことと思います。誰が建物を建設し誰が面倒(主治医)をみてくれるのか?が問題だと思います。
私は設計者という立場を担っていますが自分が設計した建物の施工にも関わりたいし、手塩にかけその過程を大切にしたい、発注者、社会に対しその結果をだすこと、そして完成後も一生つきあいたいと思っています。それが設計者としての私の責任であり、建物を創造する者としての古き良き時代の精神の継承と思っています。

『これから……』

日本建築デザイン、東急設計コンサルタント、松本陽一設計事務所、山本理顕設計工場と、同じ建築設計といいつつ随分いろいろなジャンルで設計活動に従事してまいりました。都市開発、再開発、開発行為、ディベロッパー(事業者の設計担当)、文化的意義を探究した建築、文化施設、事業目的、個人住宅等あらゆる経験と多くの人との出逢いには自信を持っています。目先きのものを追いかけることなくこれからの時代、社会にとって何が価値あるものか?何を効率化して何に時間、熱意を持つべきかの見極めが重要だと思います。私は、建築の設計者として社会と関わって15年という修業時代が過ぎました。ある意味で日本社会の典型的業界にいました。今まで自分が携わったプロジェクトを否定する気はありませんが反省点が多いことは事実です。私の血縁は"建築一家"です。私個人の存在は微力ではありますが、新たな時代の"舞台"の構築のために建物に夢を持ち、理想と理念を失うことなく建物の果たす社会的意義を誤ることなくささやかながら尽力致したいと考えます。

2001.1月吉日 独立 "建築一家"