第二幕所信表明文

ARCHITECT(建築設計者)の役割、使令・・・

2001年"新しい時代の舞台の構築のために・・・"と4年前、意気揚々に独立後5年目の時を迎えます。個人住宅、賃貸・分譲の集合住宅、飲食店(古民家の"蘇生")、住宅のリニューアル、ビルのコンバージョン(再生、用途変換)、病院の設計と、多くの方々の御支援と御協力を頂き承り、独立初期の難しい時期を大変恵まれた環境でこの4年間、御陰様で設計活動に一路邁進できました。この幸運に感謝しつつも、私自身罪ながら「社会(世の中)は、建物・建築という行為に何を求めているのだろうか?」と悩み、考え続けておりました。建築設計者に特別な可能性(建築行為の物としての価値、又は形態以外)など求めていないということです。機能性、経済性、建築を建設するための諸問題の解決の知恵等は求められても、もっと本質的問題、建物という"箱"そのもの物理的問題ではなく、建物を建設することの社会的意義、目的、条件設定に設計者が明快に関われていないないということです。この問題は、日本の設計業界(事業者と設計者との関係)の体質かもしれませんが、我々設計者側の問題(頼りなさ)委託契約でありながら受け身に重心があることに起因していると感じています。勿事業者と同様に設計者を位置づけることではありませんが、少なくとも設計者は建築の設計だけをこなしているだけではいけないと思っています。建築を創る事に関して"社会の医者"にほど遠いのが実情です。

『社会と"共有"する建築(箱)を創らないといけない』

建築と社会や経済のインターフェースということを考えると今まではいかにつくるか「ハウ・ツービルド」ということが建設側に求められてきたと理解します。重要なことはこの一つ手前といいますか、現代社会において建築行為前の何を創るのか?病院であればどういう病院なのかに関わるぐらいの意気込みが大切であると思います。建築設計者の役割として、何をつくるのかというプロセスまで含め、現代社会の中でコミットしていかないと建築はできないのではないか、すなわち建築を完成させる事が最終目的でなく、又建築業界の価値観ではなく、その建物が社会に必要とされ、ありがたい建築なのかが問われるのだと思います。建築(もの)をつくる過程においてあらゆる検討、手段を尽くして知識調達し人や組織をプロジェクトに引っ張り込んでいきながら、且つそれが融合できる状況(環境)をつくり出すことが結果として社会と共有する建築となるのではないかと思っています。

新たなる挑戦『主体的に社会に参画します』

独立する前も独立後も、建築設計者として真摯に社会と向い合ってきたという自負はあります。ただ先に述べさせて頂いたとおり まだまだ未熟さ、甘えもあったと反省もあります。建築を創るということ、その設計に関わる者として、単に上手く設計してくれた、頑張ってくれたという評価を頂く事は有難いことではあります。しかし、このことに充足することなく設計に関わったことの意義、その建物が喜ばしく社会に参画できるようさらに探求したいと切に思っております。その為にも、設計者自らも主体的に仕掛けていこうと考えています。事業者(建築主)ではありませんが、事業の本質に関わることで生意気ながら少なからずお役にたてると考えております。

『上等な幸せを求めて』

社会は、お互いが各々の個性的な能力を効果的に発揮し、協働することにより繁栄を果たしていることと思います。自分の欲望のために様々な努力を重ね、他人のために自分の能力を生かす、あるいは期待にこたえること、そして社会への貢献という意義を常に見据えていることが大切であると思っています。青臭い綺麗ごとかもしれませんが、21世紀を迎えた現代社会の閉塞感(息苦しさ)も相変わらず短絡的な都合主義が残っているのではないのでしょうか?社会の基本原理はあきらかに社会貢献することであり、そして、そこに幸せを感じられればそれは"上等な幸せ"なんだと思います。"建築を創る"ということも、建築主あるいは、利用される方々が上等な幸せを感じてくれたら大変うれしく思います。ささやかな事で良いと考えています。

2005.3月吉日 第2幕 "建築一家"