第三幕所信表明文

土地、事業、そして建築にかかわる"権利と義務"・・・その責任

21世紀になり早10年の時が過ぎようとしています。世界同時不況、中国経済の台頭、世界はこれからどうなるのか?その中で現実として日本経済のマイナス成長、政権交代があっても歓迎と批判が交じり路頭に迷って漂流しているかのような時代です。あきらかに時代が20世紀(類のない生産と成長の時代)の終焉を告げ新しい社会構造を模索している時代だと思います。世の中不況の大合唱、建設業界においても悲しいニュースばかりであることがとても残念に感じます。景気は良いに越したことはないけど悪いときがあるから良いときもあるわけで、もっと新しい時代と向き合い夢と希望と志(勇気)をもって新たな社会構造構築の為に尽くすべきであると相変わらず考えております。その為には何をするべきか?建築設計という仕事に携わりながら日々悩んでいるのも事実ですが・・・ただ悩んでいても答えは出てこないです。現実社会のリアリティと対峙し、その場しのぎの戦術ではなく信念に基づく戦略をもってポジティブに今何をするべきかを問ながら社会に提言し続けることが、建築設計者としての責任を果たす事と信じその努力を惜しむことなく精進したいと考えております。人類が与えられた"かけがえのない土地(地球)に対しての礼儀"と思っております。世界観の中で悩み苦しめる"権利と義務"と考えます。

21世紀は、共存共栄の志がなければ成立しないのではないか?

土地も建物も人々が生活する為の、或いは将来の社会の財産と考えております。その為には、事業者、設計者、施工者もさらにはその建物を利用される方も含めかけがえのない土地に対し敬意をもち、建築に対し価値を共有(世界観の共有)することが何より重要であると思います。関わる全ての方が共に存在し、共に栄え、思いやりを失ってはいけないと思います。建築の必要性が絶対条件の時代ではなく、既存建物の減築、改修も社会行為として成立する時代と考えます。目先の利益や個々の都合ではなく歴史を踏まえ、将来に何を残すか?その為には"共存共栄の志"が大切であり決して建築だけの問題ではなく、環境問題も少子高齢社会の問題もあらゆる社会問題の一つの解決として"価値の共有=SHARE"は、21世紀の重要なテーマと考えます。

社会から必要とされる建築・・・その為には、建築をどのようにつくるのか?

独立時に、建築は誰のものか?という事に関し建築の社会的責任と位置づけ、直接、間接的を問わず携わる全ての方、"社会の財産"と述べさせて頂きました。建築一家設立後、単なる建築的な形態、コンセプト(提案)、目先の事業性よりもっと建築を組み立てる前の根本的な事にこだわり、生意気かもしれませんが条件が与えられていてもこの建築計画に何の意味と意義があるか?どのプロジェクトも建築行為について自問自答してきたつもりです。本業は建築設計者としての技術、常日頃の探求心、洞察力の裏付けがあっての問いかけです。第2幕と変わりません、あらゆる検討、手段を尽くし知識調達し人や組織と協働しながら今後も悩み続けたいと考えます。事業者は勿論のこと、そのプロジェクトに係わる方々と概念(本質)の共有し、且つ複雑条件の中でよりよくする為にはどうあるべきか?緻密に繊細に建築をつくり上げていきたいと思います。

これからもかけがえのない"建築(モノ)の存在"にこだわりたい。

独立以降お陰様で30のプロジェクトが完成しました。事業者に認められ、数多くの方々の御協力を頂き小さな改修もあれば、建築一家としては大規模なプロジェクトにも恵まれ精一杯の結果を残したと思っております。どのプロジェクトも事業者にかけがえのない事業であり、重責を担ってきたと自負しております。つくることが目的ではない、建築という舞台で如何に豊かに振る舞えるか?完成後にこだわってきたつもりです。世の中やたらと説明責任という言葉が氾濫していますが、奇をてらった珍しい建築ではなく、完成した建物を論理的に説明したところで責任を果たせるとは思っていません。説明しなくても誰もが自然に、普通に受け入れ、喜んで頂ける建築でありたいと願います。言葉なくとも建物が語ってくれたら本望です。世界も日本も大きな文明の岐路に立つ難しい時代だと思いますが、初心を忘れず今後とも"建築にかかわる意義・存在価値・責任"を微力ながら全うして参る所存であります。

2010.1月吉日 第3幕 "建築一家"